「源氏物語全講会」は、國學院大學の第一期生で、「最後の国学者」と称される三矢重松が、大正10年から12年まで、國學院大學で行った源氏物語の公開講座に由来しています。また、國學院大學と隣り合わせにあった実践女子学園においても、学祖下田歌子が源氏物語講義に情熱を傾けました。この國學院大學と実践女子学園によって、源氏物語が市民に開かれたことが、一般教養としての源氏物語教育の祖とされています。

■三矢重松・折口信夫「源氏物語全講会」の伝統を引き継いで

 価なき珠をいだきて知らざりし
 たとひおぼゆる日の本の人    三矢重松

この歌の歌碑は、三矢重松の故郷、山形県鶴岡市の春日神社の境内に建立されています。
「天下に比類のない優れた珠(源氏物語)を抱いていながら、その伝統的な良きものの価値をちっとも知らずにいる日本人は、あわれなものだ」という意味で、「過去の読書人に対して、不満の心を吐き出された歌である」というふうに、三矢重松の弟子、折口信夫はこの歌の心を解説しています。(続き


 

■下田歌子と源氏物語、そして源氏物語全講会とのかかわり

 実践女子大学の学祖下田歌子は、宮中に出仕して明治天皇のお后昭憲皇后にお仕えし、また、後には学習院女子部の創設、次に華族女学校の学監(校長)として上流階級の女性の教育にあたりますが、一方で、一般庶民の女子教育が大切であるとの考えから、実践女子学園を創設します。それは、次世代を担う子供を育む一人ひとりの女性の教養が高くなければ、国全体の豊かさにはならないと考えたのです。そして、その女性像とは、本当に教養高く、常識をもって、心深くしっかりしていることであり、そのためには、古典文学や和歌の素養が、どの子女にとっても基本であると考えました。(続き