歌合(うたあわせ)の心の伝統 〜「絵合」の巻・解説〜

目次
1. 歌合の文化の伝統
2. 「合わせ」の持つ力

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1.歌合の文化の伝統




映像&音声
25分50秒

 

「絵合というのは何なのか、ということを少し申し上げておきましょう。絵合のもとは、歌合があるからなんですね。古代から日本人はものを『合わせる』ことが大好きなのです。ことに平安朝の貴族社会になりますと、そういう何々合わせ、というものがやたらにでてくる。何でも『合わせる』のです。貝合などはわりあいに後々まで知られていますけれども、ちょっとしたものでも、つまり、花だとか、木の根だとか、そんなものも合わせるのです。それで勝負の種にするのです。別に勝負事が好きだとか、賭け事が好きだとかいうこととは、あまり縁がないのですけれども...」

・相撲も「合わせる」の文化の伝統の一つ

・絵合(えあわせ)と歌合(うたあわせ)

・額田王が下した判を歌った歌(万葉集)/形としては「歌合」があったことがうかがえる

天皇の内大臣藤原朝臣に詔して、春山万花(しゅんざんばんか)の艶きと、秋山千葉(しゅうざんせんえふ)の彩れるとを競ひ憐ましめたまひし時に、額田王の、歌を以てこれを判(さだ)めし歌

冬ごもり 春さり來れば 鳴かざりし 鳥も來鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山をしみ 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみち)をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山そ我は (額田王) (万葉集巻一)


・倭大后の歌

天皇の聖躬不与(せいきゅうふよ)の時に、大后の奉りし御歌一首
天の原ふりさけ見れば大君の御寿(みいのち)は長く天足らしたり (倭大后) (万葉集巻二)


・さらにさかのぼると、歌を合わせるということは、遠い古代からあった

・時を定めて村に訪れるカミと村の聖なる乙女との間の歌合


・やがて平安の頃、歌合は宮廷の中で、貴族たちの重要な行事として、繰り返して行われた

・亭子院歌合 延喜13年(913年)3月13日 

・天徳内裏歌合 天徳4年(960年)3月30日

恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか (壬生忠見)

しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで(平兼盛)


・古代から力ある歌の言葉のやりとりが生活の中に/歌合・連歌の源流


2.「合わせ」の持つ力



映像&音声
21分33秒

 

[大久米の命] 倭(やまと)の 高佐士野を 七(なな)行く 媛女(をとめ)ども、誰(たれ)をし枕(ま)かむ。
[神武天皇] かつがつも いや前立てる 兄(え)をし枕かむ。
[媛女] あめ つつ  ちどり ましとと など黥(さ)ける利目(とめ)
[大久米の命]  媛女に 直(ただ)に逢はむと 吾(わ)が黥ける利目  (古事記 中つ巻)


籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家告らな 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそいませ 我こそば 告らめ 家をも名をも (雄略天皇)(万葉集 巻一)


・釈迢空の短歌結社「とりふね」の歌合

・「歌合」は鑑賞と批評の力を育む

・歌は言葉、同時に魂の勝負

・「合わせ」は吉凶を占うもの(カミの意志を問う)/相撲の起源 野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)との勝負

・平安時代/歌合・連歌の拡がり。しかし、だんだん約束事が面倒に。

・約束事の簡素化、単純化を行った芭蕉の連句のすばらしさ。

・世界に類のない面白い共同制作の文学のかたち。この文学の伝統を失うのはもったいない。




岡野弘彦先生 源氏物語全講会 2006 (C)岡野弘彦・財団法人エンゼル財団