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「絵合というのは何なのか、ということを少し申し上げておきましょう。絵合のもとは、歌合があるからなんですね。古代から日本人はものを『合わせる』ことが大好きなのです。ことに平安朝の貴族社会になりますと、そういう何々合わせ、というものがやたらにでてくる。何でも『合わせる』のです。貝合などはわりあいに後々まで知られていますけれども、ちょっとしたものでも、つまり、花だとか、木の根だとか、そんなものも合わせるのです。それで勝負の種にするのです。別に勝負事が好きだとか、賭け事が好きだとかいうこととは、あまり縁がないのですけれども...」
・相撲も「合わせる」の文化の伝統の一つ
・絵合(えあわせ)と歌合(うたあわせ)
・額田王が下した判を歌った歌(万葉集)/形としては「歌合」があったことがうかがえる
天皇の内大臣藤原朝臣に詔して、春山万花(しゅんざんばんか)の艶きと、秋山千葉(しゅうざんせんえふ)の彩れるとを競ひ憐ましめたまひし時に、額田王の、歌を以てこれを判(さだ)めし歌
冬ごもり 春さり來れば 鳴かざりし 鳥も來鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山をしみ 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉(もみち)をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山そ我は (額田王) (万葉集巻一)
・倭大后の歌
天皇の聖躬不与(せいきゅうふよ)の時に、大后の奉りし御歌一首
天の原ふりさけ見れば大君の御寿(みいのち)は長く天足らしたり (倭大后) (万葉集巻二)
・さらにさかのぼると、歌を合わせるということは、遠い古代からあった
・時を定めて村に訪れるカミと村の聖なる乙女との間の歌合
・やがて平安の頃、歌合は宮廷の中で、貴族たちの重要な行事として、繰り返して行われた
・亭子院歌合 延喜13年(913年)3月13日
・天徳内裏歌合 天徳4年(960年)3月30日
恋すてふわが名はまだき立ちにけり人しれずこそ思ひそめしか (壬生忠見)
しのぶれど色に出でにけりわが恋はものや思ふと人の問ふまで(平兼盛)
・古代から力ある歌の言葉のやりとりが生活の中に/歌合・連歌の源流
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