「須磨が終わりまして、今度、明石へ入ることになるわけですが、きょうの四時間は源氏から少し離れまして、全く離れるわけではなくて、源氏の内容と重い関係を持っているわけですけれども、大祓の講義と日本人の原罪意識。恐らく耳慣れない言葉でいらっしゃるだろうと思いますけれども、キリスト教の原罪というのは、キリスト教の大問題というよりは、厳としたキリスト教の教義の根底でありまして、あるいはキリスト教を信ずる民族の倫理の根底でもあるわけですが、それに匹敵するものが日本にはあるんだということをかなり早い時期から繰り返し講義をし、論文にも書いていたのが折口信夫先生でありました。
(中略) (源氏物語の)あの時代の人々の心に常に大きくあったのは、延喜式の中にも収められている祝詞の中の、また非常に大事な祝詞である六月晦と十二月晦、それから災いや穢れがあったときに臨時の大祓を行う、その大祓のときに唱える祝詞であります。延喜式の中に収まっているわけで、延喜式の中に収まっているということは、当然平安時代初期から奈良時代までさかのぼれる日本人の心の大きな柱のような形で、折口信夫の言い方で言えば、日本人の原罪意識の核になっているものですね。光源氏の心の中にも、藤壺の心の中にも、大祓の祝詞の中に「天つ罪」「国つ罪」というふうにしてつばらかに述べている罪の条々、箇条箇条が、具体的に自分の身を照らすものとしてあったに違いない。
(中略) そういうことを考えますと、ちょうど須磨の巻が終わったところで、大祓の祝詞の講義をして、さらに日本人の原罪意識というものについて考えてみることは大事なことだろうと思いますので、きょうはその話をすることにいたします。」