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「ミルワード先生は大変シャレがお上手ですが、伺っていてすぐに感じたのは、先生は声、音に敏感でいらっしゃるから、音のあれではっと連想が働いてシャレが生まれてくる。僕は、それはやはりシェイクスピア研究の一つの成果ではなかろうかなどと思ったりしているんですけれども、それを日本語でなさるから、すごいんですけれども。あのころの男性でもそうですが、殊に女性の言葉の連想力というのは、意味とか何かを考えるよりも、音ですっと入って、調べですっと連想が働いていったわけです。
それから、多義性の歌が非常に多いです。ところが、今、研究者は合理的にいきますから、この歌のこの言葉はこの意味一つなんだというふうに決めつけてしまうわけですけれども、実は古代へさかのぼればさかのぼるほど、歌は時と場によって一つの言い方がいろいろ変化する。多義性の魅力があるから、縁語、掛詞、本歌取りというふうな技巧が生まれてきたわけで、そのことなんかも、殊に源氏研究、あるいは古代の和歌の研究の上では、少しおろそかになっているというか、忘れられている。」(岡野先生)
「どういうふうにシェイクスピアを教えるか。シェイクスピアの劇、例えば『ロミオとジュリエット』のテキストを一緒に読むのはもちろんよろしいけれども、私は普通、シェイクスピアの授業をするときに、シェイクスピアの一つの劇に絞って話をするよりも、シェイクスピアの有名なせりふを主題として扱うようにします。つまりシェイクスピアは劇作家というより詩人だと思います。シェイクスピアの特徴は言葉にあります。シェイクスピアの力は言葉にあります。もちろん紫式部さんも言葉の使い方が上手だった。シェイクスピアの言葉を受けて、それについてゆっくりと考えることが非常に大事だと思います。ですから学生たちのエッセイ、自由作文を読むことによって、とても感激するようになります。シェイクスピアの学者ではないけれども、シェイクスピアの言葉、例えば「To
be, or not to be,〜」とか、そのような有名なせりふを全部読んで、それについて考えたり自分の感想を述べると、学生たちはよく学ぶことができるようになりますし、知恵を学ぶようになります。つまり知恵は先生の方から受けるのではなく、自分の心から出るはずです。」(ピーター・ミルワード先生)
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