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・両者に共通する宗教的迷信
「宗教的迷信は『源氏物語』のいたる所に現われていることに気づかされます。しかし、神道にせよ仏教にせよ、当時の日本の宗教的支配者層は迷信を非難しないばかりか、むしろ、人々の関心を引き付け、それを収入源とさえ考えて上手く利用すらしたのです。この宗教的迷信の世界はまたシェイクスピアのすべての作品、とりわけ――ご推察のように――悲劇の中に見つけられます。すぐに思い浮かぶのは、『リチャード三世』、『ジュリアス・シーザー』のような歴史物や『ハムレット』、『マクベス』などの悲劇に出てくる幽霊であったり、『マクベス』に登場する魔女、『間違いの喜劇』、『十二夜』、『リア王』に見る悪魔祓いや当時の悪魔祓いを彷彿とさせるもの、そして、シェイクスピアの最後の作品群の悲喜劇では、『ペリクリーズ』のダイアナ、『シンベリン』のジュピター、『冬物語』のアポロといった異教の神々が起こすさまざまな奇跡です。言うまでもなく、『真夏の夜の夢』の妖精の王オーベロンと女王ティターニアに仕える多くの妖精たちもそうです。このように、シェイクスピアは紫式部に負けず劣らず不可思議な超自然の世界に親しんでいたようです。しかし、この迷信の世界に対して体制派である清教徒は容赦のない難色を示し、ついには、十八世紀の「啓蒙主義」のもと、超自然の世界に対する清教徒たちによる横暴が激化するようになったのです。」
ホレイショー、この天地のあいだには、人智の思いも及ばぬことが幾らでもあるのだ。
There are more things in heaven and earth, Horatio, Than are dreamt of
in your philosophy.
(『ハムレット』一幕五場)
人の悪事をなすや、その死後まで残り、善事はしばしば骨とともに土中に埋(うずも)れる。
The evil that men do lives after them,/ The good is oft interred with
their bones.
(『ジュリアス・シーザー』三幕二場)
おお、ジュリアス・シーザー、貴様の威勢はまだ地に落ちぬのか! その魂は地上を歩き廻り、おれたちを唆(そそのか)して、おのが剣でおのが臓腑をかきむしらせる。
O Julius Caesar, thou art mighty yet!/ Thy spirit walks abroad and turns
our swords/ In our own proper entrails.
(『ジュリアス・シーザー』五幕三場)
・定められた愛
「定められた愛という考えは、シェイクスピアと紫式部がしばしば一致する点だということを指摘しておきましょう。例えば、『ロミオとジュリエット』では「星回りの悪い恋人たち」について、シェイクスピアは定められた愛をとても強調しています。また、紫式部は源氏と夕顔の愛情について「二人は、最初から運命づけられていた」ようだと述べています。違いがあるとすれば、愛が定められるのは、シェイクスピアの場合は星によるものであり、紫式部の場合には輪廻という仏教的思想に由来するという点です。」
なんという喜びか! いつもあらしがあとにこのような静けさをもたらすものなら、思うぞんぶん吹きまくるがいい、死人の眠りを呼びさますほどに!
O my soul’s joy!/ If after
every tempest come such calms/ May the winds blow till they have waken’d
death.
(『オセロー』二幕一場)
悲しみというやつは、いつもひとりではやってこない。かならず、あとから束になって押しよせてくるものだ。
When sorrows come, they come not single spies,/ But in battalions.
(『ハムレット』四幕五場)
われわれは、悲しみと、苦労と、嘆きしかないこの世にいるのだ。
We are on the earth/ Where nothing lives but sorrows, cares, and grief.
(『リチャード二世』二幕二場)
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