「日本文学史を考えれば、延々として、100年余り前まで、常に物語の中に必ず和歌があった。やがてある時期からは、俳句もそれに加わってきた。詩がやはり核として存在していたということは言えるだろうと思いますね。
その歌と物語の関係ですけれども、歌というのは、もちろん叙情的に、短歌以前の古代歌謡を見ましても、非常に短い定型意識というふうなものがかなり早くから働いていて、その短い定型の中に凝縮した感情を盛り込んでいこう。また、そのためのいろんな仕掛けを日本人は考えていたわけです。それから、その歌を核にして、その前後の叙事的なことを語っていく。それが「語り」ということになるわけですが、その歌と語りとがいつでも組み合わさって、力ある物語を形成していたと言ってもいいだろうと思います」
『古事記』より、八千矛(やちほこ)の神の歌語り
八千矛(やちほこ)の 神(かみ)の命(みこと)は
八島國(やしまくに) 妻枕(つまま)きかねて
遠々(とほどほ)し 高志(こし)の國(くに)に
賢(さかし)し女(め)を 有(あ)りと聞(き)かして
麗(くは)し女(め)を 有(あ)りと聞(き)こして
さ婚(よば)ひに 在立(ありた)たし
婚(よば)ひに 在通(ありかよ)はせ
太刀(たち)が緒(を)も いまだ解(と)かずて
襲(おすひ)をも いまだ解(と)かねば
嬢子(をとめ)の 寝(な)すや板戸(いたど)を
押(お)そぶらひ 我(わ)が立(た)たせれば
引(ひ)こづらひ 我(わ)が立(た)たせれば
青山(あおやま)に ぬえは鳴(な)きぬ
さ野(の)つ鳥(とり) 雉(きざし)は響(とよ)む
庭(には)つ鳥(とり) 鶏(かけ)は鳴(な)く
うれたくも 鳴(な)くなる鳥(とり)か
この鳥(とり)も 打(う)ち止(や)めこせね
いしたふや 海人馳使(あまはせづかひ)
事(こと)の 語(かた)り言(こと)も こをば