19分44秒

※以下の記述内容は、当日会場において配布された、田中先生のレジュメの内容を転載したものです。
また、レジュメの内容はPDF形式ファイルとしてもご覧いただけます。
田中先生 会場配布レジュメ(PDF形式ファイル・171KB)

フィレンツェに学ぶ美術修復の重要性

「あそこ(フィレンツェ)が洪水になるということ自体が考えてもいないことだっただろうと思いますけれども、水に遭うと作品はどうなるか。つまりフレスコ画は特に持ち運びができませんから、しようがないわけですけれども、磔刑なんかは、ジョットもそうですし、チマブエもそうですけれども、ああいうテンペラ画みたいなものが水にやられると、惨憺たる格好になるということがよくわかって、ああいうのを見ていますと、美というものをいかに守るかということ、それを修復するということ、そういうことがいかに基本になるかということがわかるわけです。」

・日本とイタリア 美を見る視点は同じ

・日本における美術修復体制づくりはこれからの課題

海外に向けた観光のプレゼンテーションを考えるべき

「皆さんが、イタリアには行くけれども、日本には行かない、日本の東北仏のすばらしいものがあるということをだれも知らないということであってはいけない。成島毘沙門という4メートルもある東北仏があるんですが、これなんかすごい彫刻なんです。ボローニャ大学の先生と一緒に、こんな8世紀、9世紀のものがあるんだと感心して、『ラ・レプリカ』という新聞に書いていましたけれども、それを日本人が知らないということは全くおかしいわけで、そういうことを含めて、イタリアから、自国の文化、そして我々が持っている美をもう一見直すということがなければ、恐らく単に前からある戦後像ですね。外国はいいものだというようなことではいけないわけです。」

形の文化を見直せ

「イタリアという国は、比較的日本に近くて、形というものを表現技術の基本に置いているわけです。ですから、イタリアとか日本は、形をいかに読み取るか、形をいかに我々が感じるか、そういうことによって文化をより高める、より理解するということができるんです。」

 




15分51秒

ミケランジェロの《ダビデ》はなぜ不安な顔をしているのか

「これは共和国から注文されたわけです。(中略)つまり民衆の一つのシンボルにしたい。ですから非常に政治的な意味を持っているわけです。だけれども、そこに不安な顔を示すということ自体の政治という問題、これはやはりミケランジェロの面白さであって、もう一つは一人であるという不安ですね。これもやはり少年らしい不安。
  今、いじめだとか何だとか言っていますけれども、そういう不安という状況はどこの時代、何の時代でもあったわけで、それに立ち向かうかどうかの問題。そういうことがあらゆる世界、あらゆる時代にあって、だからこそミケランジェロは普遍と言われるわけです」

《メディチ家礼拝堂 ロレンツォとジュリアーノの墓》

《システィーナ礼拝堂の天井画 エレミアの像》

「このエレミヤが、ミケラジェロ自身のポートレイトというか、セルフ・ポートレイトであるということは皆さんもご存じと思いますが、非常に陰気な顔をしている。病気そのものというか、皆さんの中にも老人の方――と言うと、あれですけれども、老人になると、くたばるだけだということではなくて、これが創造のもとだということを言い始めたわけです。これが面白いわけです。これがルネサンスと言われる時代の、私はルネサンスという言葉は余り使わないんですけれども、要するに、独自なフィチーノのメランコリーの思想が、基本的に老人というものをいかに創造的にするかという、現代と逆行しているわけです。老人はだんだんくたばるだけだ、アルツハイマーになるだけだというのではない。老人こそが自分なんだという。これを描いたときには四十幾つでから、まだ若いわけです。しかし、自分の姿をわざわざ老人の顔にする。それから、わざと周りの人も陰気にするわけです。こういうことを知っているということが、芸術なのだ、文化なのだということなんです。これはやはりミケランジェロのすごいところで、また芸術のすごさというのはそういうところなんです。」

《システィーナ礼拝堂 最後の審判》

 

《ドゥオーモのピエタ》

 



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ダンテフォーラム2006 「フィレンツェに学ぶ芸術ルネサンス」2007© 財団法人エンゼル財団