3.戦中派には自らの言葉がなかったか
・釈迢空との出会い
秋たけぬ。荒(すずろ)凉(さむ)さを 戸によれば、 枯れ野におつる 鶸(ひわ)のひとむれ
(釈迢空『海やまのあひだ』より)
・戦中の体験
「先生に申し訳ないんですけれども、先生がお配りくださった「わが内なる母語」に、「戦中派には自らの言葉がなかった」とおっしゃっているんですが、お話のときに、少しは私にはあったようだということをおっしゃってくださいましたけれども、私は言葉を持っていたと確信しております。そして言葉を持っていた人が書いたのが大抵学校でも問題になって、停学処分になったり、私も退学になったんですけれども、みんな言葉を持ち続けて、言葉は語らなくても、おのれの中で語って、語り続けることができるし、書いたものは発表しなくても、書いた言葉でございます。」(今道友信先生)
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