7.シンポジウムのおわりに
・古典の力を外国の人にどう伝えるか
式子内親王のお歌にしても、源氏にしても、言葉の持っている非常に微妙な古典の力というものが文化を支えている。しかし、我々でさえもそこから縁遠くなってきていますから、それを外国の人に知らせるのはなかなか難しいんです。言葉はその意味では一番障害があるんです。(中略)わかるのは絵なんです。例えば光琳の『かきつばた』を見ると、なるほど美しい、見事なデザインであるし、優れた作品だということがすぐわかるんですが、実はその背後に伊勢があるということを説明していけばいい。共通してわかる部分から説明していく。あれは単なるデザインではなくて、実は平安以来の伝統文化が後ろにあって、そこにはこういう歌もあるしということで、これは戦略というか、謀だと思うんです。いきなり日本語を言っても通じないわけです。(高階先生)
・古典をめぐる危機のなかで
日本の古典を文語で原文のまま読める人は、極めて希有のことになるだろうと思います。翻訳で古典を読まなければならないという。我々は近代のヨーロッパを翻訳で大体知ったわけですけれども、そのときに非常に大事なものを取りこぼしてしまった、あるいは取り違えてしまった、その反省を今1世紀半たってしみじみと感じ始めているわけですけれども、同じような悔しさを日本の我々の古典に対してやがて持たなければならないのかと思うと、何とも寂しい思いがしてまいりますけれども、そんなこともどうぞここの場にお集まりくださった方々は心にとめて、それを何とか次の時代に少しでも生き生きとした形で伝えることにお力添えをいただきたいと思うのです。(岡野先生)
・思索や詩、日常の行動を律する「母語」の大切さ
母語の強みは、母語でできた詩が何となくわかるというところにあるんじゃないかと思います。(中略)母語で詩がつくれなくても、詩がしみじみと理解できるという、そういう勉強だけは続けておきませんと、800年続いた国というのはめったにございませんので、日本が日本らしくなってから800年ぐらいたったんじゃないかと思いますから、今年、来年あたりが第1回の危機だと思いますね。仮に日本の国家が国家として独立を失うことがあっても、私どもは私どもの思索、考えとか、詩とか、日常の行動を律していく日本語を大事にするということ、そしてその日本語を育てた都会というのはたくさんあって、どの都会もそれなりに育てたんですが、京都が一番大きな力を果たしてきていると思いますので、この都を大事にして、私は「戦略」ではないんですが、計画を立てて、人類のために日本の文化の中にも意味があるものがあったら、それを今後も育てていこうではございませんか。(今道友信先生)
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