・十字軍の国家が消滅
「軍事的な関係として維持されたキリスト教世界とイスラム教世界の関係は、これで途絶することになり、消滅することになるはずです。
けれども大事なことは、そのようにして軍事的で政治的な関係は終幕を迎えたけれども、その200年間に、またこの消滅を越えてさらに、キリスト教世界とイスラム教世界の間にはさまざまな密接な関係が、接触が生まれました。もちろん、軍事的に戦争状態にあったけれども、でもその戦争状態よりもはるかに長く、またはるかに広く、キリスト教世界とイスラム教世界の間の直接の対面関係、向かい合いの関係が継続されたはずです。聖地エルサレムにおいてだけではなくて、その周辺さまざまな場所で、十字軍の軍事遠征をきっかけとして、両者の間にさまざまな人間的なつき合いや、あるいはもう少し広くいえば、さまざまな文化的交流が生まれました。
」
・地中海世界に密接な経済関係、交易関係が成立
「ようやくこの時代になって、まずは恐らくイスラム世界のだれかが、またそれに倣ってヨーロッパの、特にイタリアの港湾都市の人々が、帆で十分に航海することができる帆船をついに導入しました。真ん中にかかっている大きな四角の帆、通常は長方形ですが、長方形の帆と、そして普通は船尾にある三角形の帆、この長方形の帆と三角形の帆を巧みに使うことによって、帆船は風がどこから来てもほぼ思ったほうに向かっていくことができるという航海を可能にしました。
」
・西地中海世界とイタリアとの間の文化交流が盛んに
「ちょうどダンテが生きていた時代に、イタリアを含む地中海の西側、西地中海には、従来それまでにはない政治的な関係が生まれていたのでした。それは、もちろん以前からいろいろな関係を持っていた西地中海の世界で、まずはフランス、次いでスペイン、正確にはスペインというよりはアラゴン王国ですが、フランスの王国あるいはそのほかの諸侯たち、そしてスペインの諸侯たち、とりわけアラゴン王国が西地中海に勢力を拡大し始めて、とりわけシチリア、つまりイタリア半島のいちばん南についている島であるシチリアや、あるいはサルディニア、そしてついにはイタリアの本土である南イタリア、ナポリとその周辺といった所に勢力を伸ばし、この勢力は軍事的・政治的な勢力だけではなくて、商人たち、あるいはキリスト教の聖職者たち、そして詩人や芸術家たちが、その軍事進出に沿う形で西地中海各地に出没するようになりました。
」
・コンスタンチノープルとビザンチン帝国が復活
「パライオロゴス朝という王朝が復帰し、その復帰したのと同時に、コンスタンチノープルは自分たちの歴史的な役割、使命とか、自分たちが蓄積した文化のさまざまな要素といったものに対して、強い意識、認識を持つようになりました。いま風にいえば、このパライオロゴス朝の復活によって、コンスタンチノープル、ビザンチン帝国は彼らなりのルネサンスを迎えていたのでした。
」
・都市国家の間に文化的な蓄積への関心が生まれる
「イタリアの各都市国家は、それぞれお互いに相競いながら、ときには相ののしり合いながらでも、自分たちの都市についての自覚、自己認識というものを急に主張し始めたのです。何で急にこんなことを考え始めたのか。そう簡単に説明できる事柄ではないようですけれども、でも確かにダンテがフィレンツェについて語ったのと同じように、ほかの都市もそれぞれ皆自分たちについて語り始めた。自分たちの歴史、自分たちの役割、そして自分たちの政治政策について語り始めた。それがちょうどダンテが生きていた13世紀から14世紀にかけての事態でした。
」
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