Giustizia mosse il mio alto fattore:
fecemi la divina podestate,
la somma sapienza e 'l primo amore.
正義は至高の主を動かして、
神の権能と最高の知と
原初の愛とがわれを創った。 (地獄篇第3歌)
Io vidi certo, e ancor
par ch'io 'l veggia,
un busto sanza capo andar si come
andavan li altri de la trista greggia;
e 'l capo tronco
tenea per le chiome,
pesol con mano a guisa di lanterna;
e quel mirava noi e dicea: ≪Oh me!≫.
たしかに見たのだ、まだ目に浮かぶ、
首なきひとつの体が進む
哀れな亡者の群につらなり、
切られた頭の髪をつかんで
提灯のように手にさげてゆく。
それはわれらを見、「おお見よ」という。 (地獄篇第28歌)
e
vidi uscir de l'alto e scender giue
due angeli con due spade affocate,
見よ天上から下に降り立ち
二人の天使は火の釼をもつ。 (煉獄篇第8歌)
che
la fortuna che tanto s'aspetta,
le poppe volgera u' son le prore,
si che la classe correra diretta;
e vero frutto verra dopo 'l fiore.
待ちに待っていた嵐がおこり、
艫(とも)を舳(へさき)の方にめぐらせ
そして船団が直航すれば
花の後からは実がなるでしょう。 (天国篇第27歌)
・古典学者ジャコモ・デヴォート教授のこと
「ジャコモ・デヴォート教授は、また同時にフィレンツェ大学の古典文学の教授で世界的な古典文学の学者です。ギリシア詩の研究家でした。同時にフィレンツェの商工会議所の会頭でした。それで、どちらが本職かといったらもちろん教授のほうだと。「商工会議所の会頭は、下にたくさん秘書のような人がいて全部してくれる。私は決断したふりをするだけだ」と。本当にそうおっしゃったのです。「フィレンツェは別にそんなにたくさん生産したり何かする町でもないから、私でも務まるのです。でも、大学はそうはいかない」。」(今道先生)
・執務所から美術館へ 過去を吟味する運動のなかから生まれたウフィッツィ美術館
「私たちは過去が現在残っていると、過去のままずっとその顔をして続いてきているのだと考えたくなりますけれども、そうではない。つくられた当時も、またそのあとも、いろいろな形で歴史のいろいろな刻印を刻みながら、いまに引き継がれているのだということに、とても強くこだわりたいと思っています。」(樺山先生)
・文化と文明 ―文明は一律化であり、文化こそ普遍性を志向する―
「文化は確かに個別的であって、多様な形を持っています。でも、文化の多様性というのは、文化が持つ本来の普遍性という仕組みの中で初めて成り立つのであって、文化は別々だ、ではなく、文化が多様だというのは、文字通り文化の普遍性、あるいは文化が普遍を志向していく、目指していく、志向性という仕組みの中で、初めて多様性の意味があるのだと。そう考えていかなければいけないのだなとかねてから考えていまして、いまお話があった事柄はフィレンツェだけに限りませんけれども、私たちが過去や、あるいは違った文化、異なった文化を考えるために大変貴重なヒントを含んでいるのだと、私としては受けとらせていただきました。」(樺山先生)
・市民社会と美術館・博物館の成立 ―過去を共有化する―
「ギリシアであれローマであれ、あるいはルネサンスであれ印象派であれ、こうした作品や、あるいはその他、貨幣やコインや、その他いろいろなコレクションは、皆、どれも基本的には過去の人類が、人間たちがつくりだした、そして現代まで受け継がれている社会的な財産、社会的財だということであります。その間にはもちろん何千年たったものと、まだ100年しかたたないものといろいろあるけれども、基本的には、こうしたものは社会が共有している財であって、しかし、もちろん所有権はだれかにあり、お金が足りなくなるとそれを売ってもかまわないけれども、しかし、売ってそれを買い取った人間も、それを社会的な財として考えていただきたい。考えなければいけないだろうと思うのです。」(樺山先生)
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