源氏物語とシェイクスピア作品との対話 シェイクスピアと源氏物語(ピーター・ミルワード)

源氏物語とシェイクスピア作品との対話 シェイクスピアと源氏物語(ピーター・ミルワード)

講演

基調講演「シェイクスピアと源氏物語」

milward[1]

ピーター・ミルワード 上智大学名誉教授

会場配布資料1. 「シェイクスピアと源氏物語」(英語・PDF形式 3.8MB)
会場配布資料2. 「シェイクスピアと源氏物語」(日本語版・PDF形式 365KB)

日本語版翻訳・江藤裕之 長野県看護大学助教授

  1. 『源氏物語』に響くシェイクスピアのこだま
  2. シェイクスピアと『源氏物語』の宗教的要素
  3. 古典を読む意味―シェイクスピアと『源氏物語』を比較して

1.『源氏物語』に響くシェイクスピアのこだま


(再生時間 32分8秒)

・シェイクスピアと紫式部の「人間哲学」とは?

・女性の主人公を好み、中世の伝統の中で作品を描くシェイクスピア

「私は、この半世紀の間、シェイクスピアの研究に没頭してきました。その私が、『源氏物語』の英訳を精読して最初におやっと思ったのは、訳本の英語に響き渡るシェイクスピアのこだまです。その多さは印象的でした。こまごまとした言葉の遣い方からも、物語り全体からうかがえるものの見方や考え方からも、シェイクスピアのこだまが聞こえてくるのです。もちろん、英訳でしか読んでいないわけですから、正しく言えば訳本の英語から聞こえてくるということです。(中略)ウェイリー、サイデンステッカー、タイラーらの訳者は、それぞれが英語という言葉に精通しております。そして、今日、英語に精通していれば、程度の差こそあれ、ほぼ間違いなくシェイクスピアが用いた表現に慣れ親しんでいるはずなのです。少なくとも、私が三人の訳者による『源氏物語』の英訳を読んで強く感じたことは、紫式部の日本語を英語の読者に分かるように表現しようとする作業に、シェイクスピアの英語が極めて巧みに使われているということでした。」

弱きもの、汝の名は女なり。
Frailty, thy name is woman!
(『ハムレット』一幕二場)

顔のきれいな浮気男が、蝋のような女の心に自分の姿を焼きつけるなんてこと、わけないのね! ああ、女のもろさ、でもそれは、あたしたちの罪じゃない。だってそういうふうにできているんだもの。どうにも仕様がないんだわ。
How easy it is for the proper-false/ In women’s waxen hearts to set their forms!/ Alas, our frailty is the cause, not we!/ For such as we are made of, such we be.
(『十二夜』二幕二場)

女は薔薇のようなものだ。美しい花も一度開けばすぐに散ってしまうからなあ。
For women are as roses, whose fair flower/ Being once display’d, doth fall that very hour.
(『十二夜』二幕四場)

さようでございます。まったく、そのとおりでございます。花の盛りと見える頃には、もうその花は死んでいるのでございますから。
And so they are, alas that they are so,/ To die, even when they to perfection grow!
(『十二夜』二幕四場)

我大(おほひ)に汝の懐妊(はらみ)の劬労(くるしみ)を増すべし。汝は苦みて子を産ん。又、汝は夫をしたひ彼は汝を治めん。
I will greatly multiply thy sorrow and thy conception. In sorrow shalt thou bring forth children, and thy desire shall be to thy husband, and he shall rule over thee.
(「創世記」三章十六節)

2.シェイクスピアと『源氏物語』の宗教的要素


(再生時間 30分14秒)

・両者に共通する宗教的迷信

「宗教的迷信は『源氏物語』のいたる所に現われていることに気づかされます。しかし、神道にせよ仏教にせよ、当時の日本の宗教的支配者層は迷信を非難しないばかりか、むしろ、人々の関心を引き付け、それを収入源とさえ考えて上手く利用すらしたのです。この宗教的迷信の世界はまたシェイクスピアのすべての作品、とりわけ――ご推察のように――悲劇の中に見つけられます。すぐに思い浮かぶのは、『リチャード三世』、『ジュリアス・シーザー』のような歴史物や『ハムレット』、『マクベス』などの悲劇に出てくる幽霊であったり、『マクベス』に登場する魔女、『間違いの喜劇』、『十二夜』、『リア王』に見る悪魔祓いや当時の悪魔祓いを彷彿とさせるもの、そして、シェイクスピアの最後の作品群の悲喜劇では、『ペリクリーズ』のダイアナ、『シンベリン』のジュピター、『冬物語』のアポロといった異教の神々が起こすさまざまな奇跡です。言うまでもなく、『真夏の夜の夢』の妖精の王オーベロンと女王ティターニアに仕える多くの妖精たちもそうです。このように、シェイクスピアは紫式部に負けず劣らず不可思議な超自然の世界に親しんでいたようです。しかし、この迷信の世界に対して体制派である清教徒は容赦のない難色を示し、ついには、十八世紀の「啓蒙主義」のもと、超自然の世界に対する清教徒たちによる横暴が激化するようになったのです。」

ホレイショー、この天地のあいだには、人智の思いも及ばぬことが幾らでもあるのだ。
There are more things in heaven and earth, Horatio, Than are dreamt of in your philosophy.
(『ハムレット』一幕五場)

人の悪事をなすや、その死後まで残り、善事はしばしば骨とともに土中に埋(うずも)れる。
The evil that men do lives after them,/ The good is oft interred with their bones.
(『ジュリアス・シーザー』三幕二場)

おお、ジュリアス・シーザー、貴様の威勢はまだ地に落ちぬのか! その魂は地上を歩き廻り、おれたちを唆(そそのか)して、おのが剣でおのが臓腑をかきむしらせる。
O Julius Caesar, thou art mighty yet!/ Thy spirit walks abroad and turns our swords/ In our own proper entrails.
(『ジュリアス・シーザー』五幕三場)

・定められた愛

「定められた愛という考えは、シェイクスピアと紫式部がしばしば一致する点だということを指摘しておきましょう。例えば、『ロミオとジュリエット』では「星回りの悪い恋人たち」について、シェイクスピアは定められた愛をとても強調しています。また、紫式部は源氏と夕顔の愛情について「二人は、最初から運命づけられていた」ようだと述べています。違いがあるとすれば、愛が定められるのは、シェイクスピアの場合は星によるものであり、紫式部の場合には輪廻という仏教的思想に由来するという点です。」

なんという喜びか! いつもあらしがあとにこのような静けさをもたらすものなら、思うぞんぶん吹きまくるがいい、死人の眠りを呼びさますほどに!
O my soul’s joy!/ If after every tempest come such calms/ May the winds blow till they have waken’d death.
(『オセロー』二幕一場)

悲しみというやつは、いつもひとりではやってこない。かならず、あとから束になって押しよせてくるものだ。
When sorrows come, they come not single spies,/ But in battalions.
(『ハムレット』四幕五場)

われわれは、悲しみと、苦労と、嘆きしかないこの世にいるのだ。
We are on the earth/ Where nothing lives but sorrows, cares, and grief.
(『リチャード二世』二幕二場)

3.古典を読む意味―シェイクスピアと『源氏物語』を比較して


(再生時間 11分27秒)

・シェイクスピアのインスピレーションは中世に由来する

「シェイクスピアにとって中世とは、狭い意味では『メリー・イングランド(楽しきイングランド)』であり、広い意味ではカトリック的キリスト教世界そのものであったのです。教育を受けた多くの同時代人とは異なり、シェイクスピアはイギリス内陸部出身の田舎者として、イギリスの宗教的伝統や民間伝説に十分な共感を持っていました。そして、大学教育を受けなかったがゆえに、シェイクスピアは健全な精神を失ってしまうことはなかったのです。」

あたかも新しい夜明けを迎えでもするように、一国の礎とになるべき古き秩序を仕来りもかなぐりすてて。
As the world were not but to begun,/ Antiquity not known, custom forgot.
(『ハムレット』四幕五場)

・古典を読む意味

「科学者や合理主義者が将来について新しい約束をしようとも、彼らの言うことに耳を傾けてはなりません。そうではなく、私たちはシェイクスピアの作品や紫式部の小説のような偉大な中世の傑作を今一度見直し、私たちのインスピレーションをそこに見つけ出そうではありませんか。その作品を読むことで、イギリス人と日本人、いや、キリスト教文化と仏教文化を代表するこれら二人の偉大な作家が、「大きな広がりを超えて」握手し、その固く握り合った手を、祈りの中で、われわれ人類の一人の作者である神と結びつける様を目の当たりにするでしょう。」

コンテンツ名 第3回 Genjiフォーラム・スペシャル 源氏物語とシェイクスピア作品との対話
収録日 2006年3月14日
講師 ピーター・ミルワード
簡易プロフィール

講師:ピーター・ミルワード

(上智大学名誉教授)

肩書などはコンテンツ収録時のものです

会場:東京・上智大学中央図書館
主催:上智大学ルネッサンスセンター、財団法人エンゼル財団
2006年3月「第3回 Genjiフォーラム・スペシャル 源氏物語とシェイクスピア作品との対話」が、東京・上智大学で開催されました。このコンテンツでは、当日の模様をお伝えしています。

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