源氏物語を世界中の人々に伝えたい シンポジウム 源氏英訳の新たな試みに向けて

源氏物語を世界中の人々に伝えたい シンポジウム 源氏英訳の新たな試みに向けて

第2部 シンポジウム「源氏英訳の新たな試みに向けて」

symposium2[2]

パネリスト
岡野弘彦(歌人・國學院大学名誉教授)
ピーター・ミルワード(上智大学名誉教授)
渡部昇一(上智大学名誉教授)

コーディネーター
松田義幸(実践女子大学教授)

  1. それぞれの講演についてのコメント
  2. 訳の対比 1
  3. 訳の対比 2
  4. 訳の対比 3
  5. 訳の対比 4
  6. 和歌を翻訳することの難しさ
  7. 次の時代の人たちに読んでほしい『源氏物語』
  8. 『源氏物語』のなかに日本人の精神史をみる

1.それぞれの講演についてのコメント


(再生時間 8分05秒)

■日本文学における和歌の重要性を再認識  (渡部)
「岡野先生は、日本文学における和歌の重要性を非常にわかりやすく、『古事記』の場合はほとんど全部が詩みたいなところにつながっている例、『伊勢物語』の場合は物語の部分が短い例、それから『源氏物語』だと物語の部分が長くなるという、そういう伝統をはっきり示していただいて、大変ありがたいと思いました。」(

■翻訳で文学を読むことのむずかしさ  (岡野)
「自分が翻訳で得たヨーロッパの文学の内容、あるいは心というふうなものが、逆に『源氏物語』が翻訳せられて、そして外国の人たちに読まれている、その読まれ方というものをミルワード先生からかなり具体的におっしゃっていただいて、ああ、自分たちもやっぱり同じことを今度はヨーロッパの文学に対して、時には思い過ごし、時には誤解、時には極めて足りない読み方を重ねて、そしてヨーロッパの近代を学びとったと思っていたんだなということを身にしみて感じるところがありました。」

■印象深い、やまとことばとイギリスのもとの英語との比較  (ミルワード)
「渡部先生のウェイリーさんに対するアプローチもとても人間的だと思います。殊に印象を受けたのは、やまとことばとイギリスのもとの英語が比較されております。(中略)英語の場合は、珍しいことに、丁寧な言葉はほとんどラテン語から入ってきた言葉です。日本語の場合は、やまとことばはとてもエレガントで女性的なのに、大体中国から入ってきたものは強くて男性的だった。英語は場合は逆です。」

2.訳の対比 1


(再生時間 4分41秒)

源氏物語・英訳の比較資料(PDF)はこちら

資料1.「桐壺」の巻より
ピーター・ミルワードによる抜粋
協力(直訳作成):江藤裕之(長野県看護大学外国語講座(英語)助教授)

[原文]→玉上琢彌(たまがみたくや)訳注『源氏物語』(角川ソフィア文庫, 1964)から引用。藤原定家の青表紙本が底本。
[谷崎]→谷崎潤一郎訳『源氏物語』(中央公論新社, 1973)から引用。谷崎潤一郎の3回目の現代語訳(新々訳)。
[Waley](ウェイリー)→Arthur Waley, tr. The Tale of Genji(1935),1.Kiritsubo
[Seidensticker](サイデンスティッカー)→Edward Seidensticker, tr. The Tale of Genji(1976), 1.The Paulownia Court
[Tyler](タイラー)→Royall Tyler, tr. The Tale of Genji(2001), 1.The Paulownia Pavilion(Kiritsubo)

a.[原文]

「限りあらむ道にも、おくれ先(さき)だたじと契らせ給ひけるを、さりとも、うち捨ててはえ行きやらじ」

[谷崎]
「死出の旅路にももろともにという約束をしたものを、まさか人を打ち捨てて行くことはできないであろうに」
[ Waley ] Emperor: “There was an oath between us that neither should go alone upon the road that all at last must tread.”
→(直訳)最後には二人して歩んで行かねばならない道程を、私たちのどちらも一人きりでは行かないようにしましょうという誓いが私たちの間にありました。
[ Seidensticker ] “We vowed that we would go together down the road we all must go. You must not leave me behind.”
→(直訳)私たちが二人で行かねばならない道は一緒に行きましょうと誓いました。あなたは、私を置き去りにしてはいけません。
[ Tyler ] “You promised never to leave me, not even at the end, and you cannot abandon me now! I will not let you! ”
→(直訳)あなたは決して私のもとから去らないと約束した。たとえ、終わりのときでも。だからあなたは今私を見捨てることはできない。私はあなたにそうさせない。


b.[原文]

「かぎりとて別るゝ道の悲しきにいかまほしきは命なりけり」

[谷崎]
「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり」
[ Waley ] Lady K.: “At last! Though that desired at last be come, because I go alone how gladly would I live!”
→(直訳)その「最後」なのです。そこまで望んだ「最後」がやってきたようですが、私は一人でいくため、もし生きることがかなうならどれだけ嬉しいことでしょう。
[ Seidensticker ] “I leave you, to go the road we all must go.
The road I would choose, if only I could, is the other.”
→(直訳)私はあなたのもとを去ります。そして、私たちが二人して行かなければならない道を行きます。本当にできることなら、私が選びたい道は、もう一つの道なのです。
[ Tyler ] “Now the end has come, and I am filled with sorrow that our ways must part:
the path I would rather take is the one that leads to life.”
→(直訳)さあ、今、その終わりが来てしまったのです。そして、私たちの道が分かれなければならないことを思うと,悲しみでいっぱいになります。私が、むしろ取りたい道は、生きることへと連なっている道なのです。


c.[原文]

「みやぎのの露ふきむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ」

[谷崎]
「宮城野の露ふき結ぶ風のおとに
小萩がもとをおもひこそやれ 」
[ Waley ] Emperor: “At the sound of the wind that binds the cold dew on Takagi moor, my heart goes out to
the tender lilac stems.”
→(直訳)たかぎ野の冷たい露を束ねる風の音を聞くと、私の心はあの若いライラックの茎に思いが寄せられます。
[ Seidensticker ] “At the sound of the wind, bringing the dews to Miyagi Plain,
I think of the tender hagi upon the moor.”
→(直訳)宮城野へと露を運んでいく、あの風の音を聞くと、
私は、あの荒れ野に育つ、まだ若い萩を思い浮かべます。
[ Tyler ] “Hearing the wind sigh, burdening with drops of dew all Miyagi Moor,
my heart helplessly goes out to the little hagi frond.”
→(直訳)風のそよぐ音が聞こえ、宮城野のすべてを露で苦しめ、私の心はどうすることもなく、あの小さな萩の葉へとよせられます。

3.訳の対比 2


(再生時間 6分27秒)

d.[原文]

「鈴むしの声の限りを尽くしても長きよあかずふる涙かな」

[谷崎]
「すず虫のこゑの限りをつくしても
ながき夜あかずふる涙かな 」
[ Waley ] Daughter: “Ceaseless as the interminable voices of the bell-cricket, all night till dawn my tears flow.”
→(直訳)いつまでも続く鈴虫の鳴く音のようにやみそうもなく、夜明けまでずっと夜通し私の涙は流れます。
[ Seidensticker ] “The autumn night is too short to contain my tears
Though songs of bell cricket weary, fall into silence.”
→(直訳)秋の夜は、私の涙を止めるにはあまりにも短すぎます。
鈴虫の鳴く音が、疲れ果てて、静かになっても。
[ Tyler ] “Bell crickets may cry until they can cry no more, but not so for me,
for all through the endless night my tears will fall on and on.”
→(直訳)鈴虫は、もう鳴くことができなくなるまで鳴くでしょう。しかし、私にとってはそうではありません。と言いますのも、終わりのない夜通し、私の涙は止まることなく落ち続けるでしょう。


 e.[原文]

「いとゞしく虫のねしげきあさぢふに露おきそふる雲のうへ人」

[谷崎]
「いとどしく虫の音しげき浅茅生に
露おきそふる雲のうへ人 」
[ Waley ] Mother: “Upon the thickets that teem with myriad insect voices falls the dew of a Cloud Dweller’s tears.”
→(直訳)おびただしく聞こえる虫の音で満ちている茂みに、雲の上に住んでいる人の涙のつぶが落ちてきます。
[ Seidensticker ] “Sad are the insect songs among the reeds.
More sadly yet falls the dew from above the clouds.”
→(直訳)悲しいのは、葦の茂みから聞こえる虫の音
でも、もっと悲しいさまで、露(涙)が雲の上から落ちてきます。
[ Tyler ] “Here where crickets cry more and more unhappily in thinning grasses
you who live above the clouds bring still heavier falls of dew.”
→(直訳)薄くなりつつある草の中で鈴虫がだんだんと悲しく鳴くここで、雲の上に住むあなたは、水滴(涙)を今までにもましてたくさん降らせます。


 f.[原文]

「荒き風ふせぎしかげの枯れしよりこはぎがうへぞしづごゝろなき」

[谷崎]
「荒き風ふせぎし蔭の枯れしより
小萩がうへぞしづこころなき」
[ Waley ] Mother: “a poem in which she compared her grandchild to a flower which has lost the tree that
sheltered it from the great winds.”
→(直訳)彼女が、自分の孫を、強い風からそれをかくまっていた木を失った花に例えた詩。
[ Seidensticker ] “The tree that gave them shelter has withered and died.
One fears for the plight of the hagi shoots beneath.”
→(直訳)萩の若芽をかくまっていた木が枯れて死んでしまった。
その下にある萩の若芽のありさまが心配になります。
[ Tyler ] “Ever since that tree whose boughs took the cruel winds withered and was lost
my heart is sorely troubled for the little hagi frond.”
→(直訳)その大きな枝が荒れ狂う風を防いでいた木が枯れてなくなってしまってからというもの、私の心はその小さな萩の葉を思っては、ただただ苦しいばかりです。


 g.[原文]

「尋ねゆくまぼろしもがなつてにてもたまのありかをそこと知るべく」

[谷崎]
「尋ね行くまぼろしもがなつてにても
魂(たま)のありかをそこと知るべく」
[ Waley ] Emperor: “Oh for a master of magic who might go and seek her, and by a message teach me
where her spirit dwells.”
→(直訳)ああ、彼女を探しに行って、そのメッセージで彼女の魂がどこに住んでいるか私に教えてくれる魔術の達人がいたらなあ。
[ Seidensticker ] “And will no wizard search her out for me,
That even he may tell me where she is?”
→(直訳)そして、どの魔術師も、私のために彼女を見つけ出そうとはしないのでしょうか。まさしく、彼女がどこにいるのかを、私に教えようとするために。
[ Tyler ] “O that I might find a wizard to seek her out, that I might then know
at least from distant report where her dear spirit has gone.”
→(直訳)ああ、魔術師を見つけて、彼女を探し出すことができたなら。そうしたら、少なくとも、遠く離れた噂からでも、彼女の愛らしい魂が行ってしまったところがどこなのか知ることができるのに。

4.訳の対比 3


(再生時間 2分13秒)

h.[原文]

「はねを並べ、枝をかはさむ」

[谷崎]
「天にあっては比翼(ひよく)の鳥、地にあっては連理(れんり)の枝」
[ Waley ] Emperor: “the vow that their lives should be as the twin birds that share a wing, the twin trees that share a bough.”
→(直訳)彼らの命は、一つの羽を分かち合う二羽の鳥のように、そして一本の枝を分かち合う二本の木のようにあるはずだという誓い
[ Seidensticker ] “In the sky, as birds that share a wing,
On earth, as trees that share a branch.”
→(直訳)空では、一つの羽を分かち合う鳥たちのように、
地上では一つの枝を分かち合う木々のように。
[ Tyler ] “Morning and evening he had assured her that they would share a wing in flight as birds or their branches as trees,”
→(直訳)朝な夕な、彼は彼女に、彼らは飛ぶときは鳥のように羽を分かち合い、あるいは木のように枝を分かち合うと約束しました。


 i.[原文]

「雲の上も涙にくるゝ秋の月いかですむらむあさぢふのやど」

[谷崎]
「雲のうへも涙にくるる秋の月
いかですむらん浅茅生(あさじふ)のやど 」
[ Waley ] Emperor: “the thought, with what feelings she had watched the sinking of the autumn moon: ‘for even we Men above the Clouds were weeping when it sank.'”
→(直訳)どんな気持ちで、彼女は秋の月が消えていくのを見ていたのでしょうか。「と申しますのも、私ども、雲の上のものでさえも、それが消えたら涙を流し悲しみますから」。
[ Seidensticker ] “Tears dim the moon, even here above the clouds.
Dim must it be in that lodging among the reeds.”
→(直訳)涙が月の光を薄くする、たとえ、雲の上のここでも。
葦の茂みの中のその住まいの中では、なおさら暗いはずですね。
[ Tyler ] “When above the clouds tears in a veil of darkness hide the autumn moon,
how could there be light below among the humble grasses? ”
→(直訳)雲の上で暗闇の中の涙が秋の月を隠すとき、その下の、このつつましい草に間にどうして光がありえましょうか。

5.訳の対比 4


(再生時間 5分14秒)

j.[原文]

「いときなきはつもとゆひに長きよを契る心は結びこめつや」

[谷崎]
「いときなき初元結に長き世を
ちぎる心はむすびこめつや 」
[ Waley ] Emperor: “a poem in which he prayed that the binding of the purple filet might symbolize the union of their two houses.”
→(直訳)紫の網目の結びが、彼らの二つの家を結びつける印となりますようにと彼が祈った詩
[ Seidensticker ] “The boyish locks are now bound up, a man’s.
And do we tie a lasting bond for his future? ”
→(直訳)少年の巻き毛は、今しっかりと束ねられ、成人のものとなりました。
そして、私たちは彼の将来のための末永く続く絆を結びますか。
[ Tyler ] “Into that first knot to bind up his boyish hair did you tie the wish
that enduring happiness be theirs through ages to come? ”
→(直訳)彼の少年らしい髪を束ねるための、その最初の結び目の中に、あなたは、絶えることのない幸せが、今後も末永く彼らのものであって欲しいという願いを結び込みましたか。


 k.[原文]

「結びつる心も深きもとゆひにこきむらさきの色しあせずは」

[谷崎]
「むすびつる心も深きもとゆひに
こきむらさきの色しあせずば」
[ Waley ] Minister: “answered him that nothing should sever this union save the fading of the purple band.”
→(直訳)紫の絆が色あせることがなければ、この連帯を不和にするようなものは何もありませんと、彼に答えた。
[ Seidensticker ] “Fast the knot which the honest heart has tied.
May lavender, the hue of the troth, be as fast.”
→(直訳)正直な心が結ぶ結び目をしっかりと、紫のラベンダーよ、忠誠(婚約)の色よ、結び目と同じようにしっかりと。
[ Tyler ] “In that very mood I tied his hair with great prayers bound henceforth to last,
just as long as the dark hue of the purple does not fade.”
→(直訳)まさにその気持ちで、私は、これから続いていくために結びつけながら、大きな祈りとともに、彼の髪を結びました。ちょうど、紫の色の濃さが色あせない限りは。

6.和歌を翻訳することの難しさ


(再生時間 15分49秒)

■和歌の意味とともに歌の感じを示すのは難しい  (ミルワード)
「和歌のすべての意味を英語に生かそうとすれば、かえって短歌の気持ちがなくなります。ですからタイラーさんの訳はそういう点でちょっと長過ぎる。翻訳ですけれども、サイデンスティッカーの訳の方が、詩的な気持ちが生かされると思います。
聖書の翻訳もそうです。現代訳の多くは意味だけに気をとめるけれども、やはり意味だけではなく、原文の特徴を生かさなければならない。殊に詩篇の訳の場合は、詩は歌だから、歌の感じを翻訳を通して示さなければならない。」

■和歌の翻訳はウェイリーでも手がでなかった  (渡部)
「ウェイリーの場合は、支那文学には詩から入って、散文には入らないんですよ。日本の場合は逆で、散文から入って、和歌には入らなかったという非常な面白いコントラストがあります。というのは、漢字というのは非常にビジュアルなところがありますね。だから20世紀の初めごろから、イマジズムという英米の詩の一つの流れがありますが、これは一番のヒントは日本の俳句と漢詩から得ているんです。俳句というのは非常にぱっとしたイメージがあるわけです。漢詩も大体イメージですよ。1行ずつイメージが大体わくようできているように思うんです。ところが、和歌というのは、これは手が出ませんね。というような感じがするんです。」

■現代の日本人にとっても和歌は絶縁的な感じがしている  (岡野)
「卒業論文や大学院の博士コースの論文などというのは、古代文学ですと、圧倒的に『万葉集』が多かったんです。『万葉集』に関心を持つ学生たちが多かったんです。最近は傾向が変わりまして、『万葉集』よりも『古事記』とか『源氏物語』とかいうふうに集まっていっているんです。
それはなぜだろうと思いましたら、あの和歌の形がどうにもわからないという。初めから和歌に対して手が出ないですね。だから散文の方がわかるだろうという。私は逆なんですけれども、『万葉集』なんかそんなに苦労しなくてもすーっと入ってくるんです。『源氏物語』のあの字の文というのは、あんな難しい日本語はちょっとないと思うんです。僕は逆だよと言うんですけれども、短歌のあの形が若い人たちには絶縁的な感じがするんですね。」

7.次の時代の人たちに読んでほしい『源氏物語』


(再生時間 6分52秒)

■やまとことばが使われなくなってきている  (渡部)
「岡野先生のお話で、『万葉集』がはやらなくなった、何となく若い人がみんな親しめなくなったというお話でしたが、このごろ、やまとことばのボキャブラリーが物すごく減ってきたと思うんです。僕らが子供のころは、少なくとも四大節の歌は全部やまとことばですよね。明治節の歌だけはアジアの東という「アジア」だけが一つやまとことばではなかったんですけれども、全部やまとことばですよ。子供のときから歌っていますと、やまとことばの感覚が身についたんじゃないかと思うんです。」

■現代の日本人にとっても和歌は絶縁的な感じがしている  (岡野)
「平安朝、それから中世の初めの新古今集あたりの歌が一番わかりにくいですね。それからまただんだん平明になっていって、玉葉集、風雅集という南北朝のころの歌なりますと、非常にわかりやすくなるんですけれども、『源氏物語』のころの歌が一番わかりにくい。(中略)これを何とかして次の時代の人たちの心に響いて読んでもらうようにしないと。翻訳の問題以前なんですけれども、谷崎源氏がほとんど読まれないという問題と同じことだと思うんですけれども、日本人の心、あるいは日本人の非常に大事な文化の断絶になってしまうんじゃないかなという感じすらするんですね。」

8.『源氏物語』のなかに日本人の精神史をみる


(再生時間 6分17秒)

・大正時代の国文学者・三矢重松博士が開講した「源氏全講会」の現代的意義

「『源氏物語』というのは、先ほど和歌の問題のときにも申しましたように、結局、日本人の長い神話からずっと糸を引いている日本人の魂の語りといいましょうか、心の語り、それの一番核のところに歌を据えて、そして一層深く細やかに語っていくという、そういうものだと思うんです。(中略)
『源氏物語』というのが決してあの時代のただ一風俗的な小説には全くとどまらない、日本人の精神史みたいなものをずっと貫いているところがあるわけで、そういうものの読み方を私は師匠(折口信夫)から教えられた。それを受け売りするだけですけれども、聞いてくださる方がいれば、講義をしていってみたいと思っているわけです。」

コンテンツ名 Genjiフォーラム・スペシャル2 世界文学としての『源氏物語』~源氏英訳の課題と可能性をめぐって~
収録日 2004年2月28日
講師 岡野弘彦、ピーター・ミルワード、渡部昇一、コーディネーター:松田義幸
簡易プロフィール

講師:岡野弘彦

(歌人・國學院大學名誉教授)

講師:渡部昇一

(上智大学名誉教授)

講師:ピーター・ミルワード

(上智大学名誉教授)

コーディネーター:松田義幸

(実践女子大学教授)

肩書などはコンテンツ収録時のものです

会場:東京・学士会館
主催: 中央公論新社、財団法人エンゼル財団
協賛:森永製菓株式会社、森永乳業株式会社
2004年2月「Genjiフォーラム・スペシャル2 世界文学としての『源氏物語』~源氏英訳の課題と可能性をめぐって~」が、東京・学士会館で開催されました。このコンテンツでは、当日の模様をお伝えしています。

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